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戦後72年日本はGDP3位となるほど復興したが、この道筋をつけたのは畑俊六元帥の終戦決断だ! [敗戦日本史]



「戦争を始めるより、戦争を終わらせるのが難しい」とは、
古今東西を問わず、諸国で言われている。
大東亜戦争を終了させるのも、昭和天皇は苦渋の決断をされた。




その昔、日本民族は地球上から滅亡するところであった。
此のように書くとまたオーバーなとの声が聞こえそうですが・・・・・・。
日本民族は世界に稀な完璧主義の特性をもつ民族だからです・・・・・・。
善悪は別にして、
戦争を始めたらトコトン最後まで戦い続けるのです。



これだけは、日本人より外国人が認めているのだから・・・。
客観性はかなりありますよ・・・・・。


現在戦後72年が経過し、
安保法制が実施され、
南スーダンに陸上自衛隊が派遣されています。



終戦間際の1945年8月14日10時、
昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集され、
三元帥の意見をヒアリングされた。






昭和天皇.JPG
<軍服姿の昭和天皇>




その三人こそ
陸軍の畑俊六(原爆投下の広島市を含む地域の第二総軍司令官)、
杉山元(第一総軍司令官)、
海軍の永野修身(元軍令部総長)
であった。




昭和天皇は三元帥より意見を聴取した際、
杉山と永野が徹底抗戦論を張るなか、
畑のみは現状分析結果に基づき精神論でなく正直に
「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は
遺憾ながらなしと申上げる外ありません」
と率直に現状を説明された。





広島原爆投下.JPG
<広島への原子爆弾(新型爆弾)投下された後の惨状>



畑元帥こそ、
まことに全国民玉砕にならないように、
本土決戦は出来ないことを
己の立場を十分にわきまえ、
戦局を冷静に正しく俯瞰できた、
武人の中の武人であった。
日本民族が根絶やしになっては、
復興もあり得ないからと考えたのであろう。




畑俊六.JPG
<軍服姿の畑俊六元帥>



元帥の中で昭和天皇の信頼が厚かったといわれる、
畑元帥の意見に昭和天皇は本土決戦の不可能さを、
確信することになったといわれる。



ここには多数決の原理が働いていないのに特に留意する必要がある。


畑元帥こそポツダム宣言受託を
事実上決定した張本人であり、
戦後の戦争放棄国家への道筋をつけた人である。




本著は畑俊六元帥が戦犯容疑者として収容されていた巣鴨獄中で書いた、
誕生から陸軍大臣就任に至るまでの詳細な「回顧録」ほか、
「巣鴨日記?・?」「敗戦回顧」および「日誌?」を収録している。



畑元帥は敗戦の歴史こそ、
将来日本国民が二度と不幸な戦争に進むことがないように、
防空壕などは二度と掘らなくて良いように、
残した回想録であると私には思われる。


あくまで武人の中の武人、

今流に言えば軍人の中の軍人であった・・・・・・。

今話題の森友学園の創立などは考えられなかったであろう!

本回想録は、大東亜戦争敗戦時を明かした一級資料である。



戦後史の研究に欠かせないに欠かせない第1級の史料である。



日本国民なら一読したい書である。



⇓元帥畑俊六回顧録詳細はこちら⇓


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